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     第3話 「呪文」 (3)


  マヤが水汲み桶を一つ頭に乗せて帰ってきた時、ゼネスはちょうど乾いた衣服を着け終わっ
 た直後だった。ビショ濡れだったものをかなり慌てながらようよう干しあげたのだが、努めて
 何でもない顔をするように彼は心掛けた(それでもさすがにマントはまだ乾かず、カーテンの
 ように広げてつるされていたが)。
  木桶を床に置いて、マヤがまだ開いたままの戸口の方を見ている。すぐに、黒い巨きな影が
 のっそりと入ってきた。黒魔犬だ。大きい方の木桶の取っ手を口に咥(くわ)えている。
  ゼネスは足早に黒犬に近づき、木桶の中身を点検した。冷たそうな水が、ほぼ七分目半ぐら
 いは入っている。桶の外側が少しだけ濡れていた。
  「まあまあ合格だ、しかし次は一滴もこぼさないで来れるようにしろよ」
  「厳しいなあ」
  弟子は少し苦笑すると、片手に握った何かを差し出した。
  「ほら、春の香り。後でスープを作って入れますね」
  それは柔らかそうな早緑色をした、香草の新芽の束だった。そう言えば、マヤが帰ってきた
 時から清々しい緑の香が部屋の中に漂っていたような気がする。せっかく乾いた彼女の服の
 袖口が、露でまた濡れていた。
  「だったら早く取り掛かれ、後で呪文の話をしてやるぞ」
  人目につかない場所についたら呪文の事を教えてやる―とは、荒地にいた時分からの約束だ。
  師の言葉に顔を輝かせながら、彼女は大急ぎで調理をした。小屋にあった鍋を出し、塩ブタ
 で出汁(ダシ)をひいたスープの中に、次々と干し野菜やらイモやらを刻んでは放り込んでゆく。
  最後に鍋を暖炉の火にかけ、フタを少しずらして乗せると、少女はいそいそとゼネスの側に
 やってきた。
  「あとは煮込むだけです、呪文の事、教えてください」
  期待に満ちた弟子を前に、師はもったいぶった様子で咳払いを一つしてからゆっくりと話し
 起こした。

  ―呪文でもカードでも、"力"を使う者がまず心得ておく必要があるのは、「四つの属性と
 二つの変化」だ。
  四属性とは、"火""水""地""風"。そして二つの変化は、"創造"と"破壊"。以上六つの
 要素が組み合わさって働くことで、宇宙ならびに世界の全てが存在し続けることができる。
  "火"と"水"は言うまでもない、熱の循環、そして水の循環を指す。
  "地"と"風"は象徴的でわかり難い言い方だが、"地"は万物の生命力を高める働き、す
 なわち有機物の循環を。"風"は大気の動き、つまり大気の循環を意味する。
  そして各々の属性の働きは"精霊力"と呼ばれ、精霊力を司(つかさど)る四つの"精霊神"に
 よって支配されている。神の御名は「火のビステア(BISTAIR)」、「水のイクシア(IKSEAR)」、
 「地のセレニア(SELENEAR)」、「風のテレイア(TERRAIR)」だ。
  一方"創造"と"破壊"についてだが、これは平たく言えばプラスとマイナスだ。四属性の
 働きが、正に振れるか負に動くかを示す。
  四つの属性のうち"火"と"水"、"地"と"風"は互いに反発し、力を打ち消しあおうとする。
 逆に"水"と"地"、"火"と"風"の間には親和が働いて、互いの力をより高めようとする。
 こうした属性の力と属性間の力関係が、俺たちが今立っているこの世界の形を造っているのだ。
  つまり、世界の中にあるものは全て、四つの属性の影響を受けて存在している事になる。
  カードからクリーチャーや道具を呼び出す時、まず白い光が現われるな。あれは、まだ何の
 属性も帯びない"源の力"だと考えられている。"力"そのままでは、世界に現われてもあんな
 意味のないエネルギーの固まりに過ぎない。
  「呪文」はその点、"力"に四つの属性と二つの変化を関連付け、意味を持たせてやるもの
 だ。無色透明のモノに色と形を付けてやるような感じ―と言えばわかるか?
  とにかく、呪文によって意味付けられれば、"力"は一つの現象としてこの世界に現われて、
 特定の影響を及ぼす事ができるようになる。それが「呪文効果」と呼ばれる働きだ。
  さて、けっこう難しい話だと思うが、ここまでで何か訊(き)きたいことはあるか? 
  弟子はサッと手をあげた。
  「呪文で、カードみたいにクリーチャーや道具を呼び出すことはできるんですか」
  「それはできない。さっきも言ったように、呪文が起こすのは現象だ。あらかじめ意味付け
 された"力"を呼び出すものだ。
  だがクリーチャーや道具は現象じゃない、確かに在るモノだ。
  カードで呼び出す時、一度"源の力"のまま呼び出し、カードが消える事で「変換」されて
 形になるだろう。おそらくカードそのものに、"力"を実在の形として(世界に)定着させる
 働きが封じ込められてでもいるんだろうな」
  「そう言えば…呪文カードは少しだけ小さいし、手触りもなんとなく違う。やっぱり性質が
 違うってことなのかなあ」
  「まあ、そう考えておいていいんじゃないか」
  ―さて、本題はここからだ。
  呪文は"力"に意味付けをすると説明したな。その意味付けをする方法を、"韻"と言う。
  "韻"(いん)は"呪文言語"と呼ばれることもある。人の言葉に似ていて、言葉のように音
 で意味づけをするからだ。
  "力"にどの属性の要素をどれだけ帯びさせ、どう組み合わせるか。そしてどれだけの大き
 さで呼び出すか。その全てを、"韻"を唱えることで決める。どんな現象を起こすかという、
 「指定」をするわけだ。
  つまり「呪文」とは、"力"である一つの現象を起こすために必要な、一連の"韻"の繋がりを
 指しているのだ。
  例えば火球(ファイアーボール)であれば、まず火と風の属性を使って「燃焼」を唱え、次いで
 「持続」や「大きさ」、「空中移動」、「方向」といった意味付けをする韻を決まった順で唱えてゆく。
  この時、唱える韻の順番を一つでも間違えたら全て無効だ、呪文にならない。だから、バカに
 は到底魔術師はつとまらん。
  その上、韻を唱えて指定した"力"をこちらの世界に導くためには、術者の強いイメージが
 要るのだ。これを専門用語で「道をつける」と言うんだが…。
  さっき俺が炎を呼び出そうとして、お前にジャマされて一度失敗したろう?集中力が途切れる
 と、あんな事にもなる。
  どうだ、一枚出せば済むカードと比べ、呪文はずいぶんとややこしくて扱い難いものだろう。
  「じゃあ、カードと呪文の一番の違いってどういうところなんですか?
  それと"韻"をどうにかすれば、呪文はカードとは違うことができたりもするのかしら?」
  マヤはカードを一枚取り出し、確かめるように何度も見返しながら質(ただ)した。
  「カードは…言ってみれば"扉"のようなものだな。開くことさえできれば、常に一定量の
 決まった"力"を取り出して使うことができる。
  それに対して、呪文は"孔(あな)"だ。世界に孔を穿(うが)って無理やり"力"を引きずり
 出す。だからこそ、カードより呪文の方がずっと多くの魔力を食うし、不安定で扱いも難しい
 ところがあるんだろう。
  その代わり呪文は、魔力さえ許せばカードが実現するよりも大きな規模で"力"を取り出す
 ことができる。その上韻の組み合わせによっては、カードには無い呪文効果を起こすことさえ
 可能だ。全ては術者の才能次第さ。
    と言っても、モノやコトのさまざまな仕組みを理解して、それぞれに対応する韻を見つける
 必要はあるんだがな」
  「でも…」
  うっすらとほほを染め、軽い興奮を帯びた様子でマヤは周囲を見回す。
  「いろんなモノやコトの仕組みがわかればわかるほど、"力"の使い方もわかるようになる
 んだ…。すごいな、今目の前に見えてることも、普段何気なくやってることも、全部そこにつ
 ながってるなんて」
  少女の瞳が輝く。しかしそれを見るゼネスは正直、複雑な気分だった。
  『世界を、見たい』
  あの声。
  『セプターは、カードを使って何をするのが本当のことなんだろう』
  あの言葉。 
  自分よりもずっと遠い所まで、マヤの視線は届いているのではないか。弟子にしてくれなど
 と言って近づいておきながら、彼女はいつかまた、彼の目を盗んでフイと消えてしまうのでは
 ないか?そんな想像にかられる。
  が、
  『バカな、こいつを置いてここを去るのは俺の方なんだぞ』
  密かに、しかし懸命に気持ちを切り替えて、ゼネスは最も重要な説明に入ることにした。
  「さて…、これからお前に、術者としての力量を占なう四つの"韻"を伝えなけりゃならん。
 俺が唱えるのをよく聴いて、正確な発音を心掛けろ。"韻"は音が全てだ、正しく発音しなけ
 れば、呪文効果は発現しない。
  世の中には発音を示す記号を付した韻の文書(もんじょ)もあるが、基本は口伝(づ)てだ。
 古(いにしえ)よりずっと、魔術師達はこうした口伝(くでん)で発見した呪文を残してきた。
  お前も今から、その歴史に参加するんだぞ」
  そして、彼は右手のひらを上に向け、自分の目の高さにまで上げると、
  「Bist(ビスト)」
  一言唱えた。
  途端に、広げられた手の上に例の空間のゆがみが生まれ、その中から赤味を帯びた光の球が
 出現した。彼の手のひらよりもずっと大きく、強い輝きを放っている。
  マヤは光をじっと見つめていた。
  「これは火属性だけを帯びた"力"だ」
  そう説明していったん光球を消し、次に
  「Ikse(イクス)」
  と唱えた。
  応じて現われた光球は涼しい青味を帯びていたが、先の火属性の光に比べてだいぶ小さかった。
 手のひらの半分にも満たず、輝きも弱々しい。
  「チッ、相変わらずこんなものか。これが水属性の"力"」
  思わず舌打ちし、彼はさらに別の韻を唱えた。
  「Selen(セレン)」
  今度は、柔らかな緑味を帯びた光の球が浮かび出る。だが、やはり小さい。青い光球と同じ
 ぐらいだ。
  「これは地属性」
  眉をしかめ、憮然とした表情で手の上の光を消し去ってから、ゼネスは四属性の最後の韻を
 唱えた。
  「Terra(テラ)」
  再び、手のひらよりも大きな光球が現われた。これは黄色味を帯び、赤い光と同じ程度に強い
 輝きだった。
  「最後は風属性だ。
  今唱えた韻のそれぞれに神性を示す語である"Ar"か"Air"を付ければ、各属性の精霊神の
 御名になる。
  属性の"力"を示す光の球の大きさや輝きの強さは、術者本人が各属性の精霊力とどれだけ
 感応できるかを測る目安になるんだ。
  もちろん、感応力が高い方が充分に属性の"力"を使える。だが、問題はそのバランスだ。でき
 るだけ、各属性との感応力に隔たりが少ないことが理想とされている。
  見ての通り、俺の場合は属性との感応力のバランスが悪い。火と風はまあまあだが、水と地は
 なぐさみ程度にすぎん。これでは低い方に引きずられて、使える呪文の選択が限られてしまう。
 魔術師としては三流もいいところだ」
  ふうっと一つ息をつき、ゼネスはマヤの方へと向き直った。
  「さあ、次はお前だ。どれほどの力があるのか試してみろ」
  彼女はこくりとうなづき、緊張した面持ちで師と同じように右手のひらを眼の高さに上げた。
  「ビスト!」
  唱えると同時に、部屋の中がグラリと揺れた。否、そう見えるほどに大きな空間の"ゆがみ"
 が生じた。
  『これは…!』
  ゼネスも驚愕して見守る中、"ゆがみ"の向こうから巨大な赤い光球が現われ出た。小屋の
 天井も焦げるかと見えるほどに、光は熱く明るく、大きい。
  「おい、消せ!」
  彼の一言で光球はパッとかき消えた。だが、術者であるマヤ自身はまだビックリしたような
 顔をして、赤い光球が浮いていた辺りを見上げている。
  『驚いたな、こんなのは初めてだ…』
  つくづくと舌を巻く思いで、彼は自分の弟子を見つめた。そう言えばこの少女は、"竜遣い"
 と戦った時にも五体もの火竜を水漬けにした上に、嵐の巨人(ストームジャイアント)を出し
 た者であった。
  『相当高い魔力を持つヤツだとは思っていたが、まさかこれほどとは…。
  しかしバランスの方はどうだ?』
  彼は驚異と興味を半々に急(せ)っついた。
  「続けて唱えろ、続けて」
  急かされて我に返ったマヤは、水属性の韻を唱えた。やはり大きな"ゆがみ"、そして巨大な
 青い光球が現われる。部屋中に、清涼な水の気が満ちる。
  その後地属性と風属性の韻を唱えても、いずれも同じように大きな光の球が現われた。緑の
 光は豊かな黒土の匂いを放ち、黄色の光からは渦巻く風の動きを感じた。
  「バランスも申し分ない、お前は本当にとんでもないほどスゴいヤツだ。
  属性との感応力は、生まれ持ったままで一生変わらない。これはまさに、"力"を使うために
 生を受けたようなものだぞ」
  ゼネスには心底からの驚きと感嘆だった。
  『こいつは、今のままの状態でもすでに"神"に近いんじゃないのか。とても生身の人間の
 能力(ちから)とは思えん。
  やはり何かある、こいつには"力"に通ずる何かがある!』
  彼は、自分が今握っている「秘密」の大きさにからだが震えるほどの昂(たか)ぶりを覚えた。
  だがそんな師の思惑をよそに、弟子の少女はかすかに眉根を寄せながら、自分の手のひらの
 上をじっと見つめていた。


  夕食のスープを、ゼネスはあれこれと考えを廻らせながら食べた。おかげで、食物がからだ
 のどこに入ったものか彼にはさっぱりわからなかった。マヤはほんの少ししか口にしなかった
 のだが、彼はそのことにも全く気がついていなかった。
  つい先ほど目の当たりにした弟子の強大な能力は、それほどまでに彼の精神を刺激していた。
  「お前みたいに全ての属性の力に優れた感応力を示す者から見れば、呪文の方がカードより
 も使いでがありそうに思えるだろう。
  しかしカードと呪文とは、先にも言ったように"扉"と"孔"の関係だ。どちらが優れているという
 比較はすべきじゃない。
  世の中の大半の術者(魔力を使える者の意)は、俺みたいに感応力のバランスが悪い。それ
 に、呪文の構造を理解して多くの"韻"を憶えたり、高い集中力を持続させるなんてマネは、そう
 たやすく誰にでもできるわけじゃない。
  使いこなせる者が限られ、たとえ高位の術者であっても、心身の調子が悪ければ失敗の危険が
 付きまとう、それが呪文の難点だ。
  その点カードは、属性の力との感応も集中力も関係ない。セプターで魔力が充分にあれば誰でも、
 常に一定の"力"を取り出して使うことができる。
  何より、クリーチャーやアイテムといった実体あるモノは、カードでなければ呼び出せない。それ
 がカードの利点だ。
  カードにはカードの、呪文には呪文の難点と利点があることを、充分に理解しておけ。
  その上で、お前は完璧な術者を目指すんだ。カードも呪文も、お前ほどの力を持って自由自在
 に使えば、神だって恐るるには足らん。これは面白くなってきたぞ」
  冷めやらぬ興奮のままに、ゼネスはつい多弁になる。
  だが、マヤは食事後ずっと部屋の隅に座ったまま、黙りこくっている。師の賛嘆の言葉にも、
 反応はない。
  『どうせまた、"望んで得た能力じゃない"とでも言いたいのだろう』
  彼はそう受け取り、彼女をそのまま放っておくことにした。
  『あいつは一体、どれだけのことができるんだ?それにしたって、もう少し欲を出してくれない
 ことには張り合いがない。せっかくの能力も、使わなければ宝の持ち腐れだ。
  とにかくセプターとして魔術師として、能力をきちんと開花させてやる必要があるな。全て
 はそれからだ。"力"のことを知りたければ、"力"を充分に使いこなせるようになれとでも
 言って焚きつけてみるか…』
  あれこれと今後の策を練ってみる。その彼の耳に、
  「ゼネス…ゼネス?」
  呼びかける小さな声が届いた。
  「何だ」
  彼は弟子の方に顔を向けた。少女は、背中を丸めてヒザを抱えたまま、自身の前にある、
 茶を飲んだ後の空のカップを見つめている。
  「神様をしのぐだなんて…、ゼネスは神様のこと知ってるの?会ったことでもあるの?」
  思わぬ問いに不意を突かれたが、すぐに答えた。
  「直接会ったことは無い。もともと、人間が直(じか)に神を見ることなどできない。
  神は"恒(つね)なる運動"だ。人のような肉体や精神など、持たん。肉体には限界があるし、
 精神は揺らぐ。神に限界や揺らぎがあってどうする?
  カードの覇者になれば、その世界の神に目見えする事ができるという話もある。だがあれは、
 人が思い浮かべる姿を神の側が読み取って投影する幻に過ぎん。
  絶対神や創世神に限らない、属性の精霊神も同じことだ。
  俺は身分こそ亜神だが、今の所まだ人間の肉体と精神を持っている、本当の神とは違う」
  「ふ〜ん…」
  彼女はしばらく考え、
  「神様はカードを使ったり…、その…カードに願いを掛けたりできるの?」 
  また訊いてきた。
  「俺もよくは知らんが…どうやら神もカードだけは自由にできないらしいな。カードを創る
 ことはできるが、使うことはできないようだ。
  だいたい、神そのものがカードと同じように"力"の出口と言っていいんだ。そもそも使う
 理由が無い」
  何気なく知っていることや推測やらを連ねて問いに答えてきたのだが、この瞬間、ゼネスの
 頭にある重要な疑問が浮かんだ。
  『カードを"使う"ことができるのは、肉体と精神を持つ者だけなのだろうか?』
  マヤに問われることがなければ、きっとこの問題に気づくこともなかったろう。
  『どうも、考えるべきことが多すぎる。頭が二つ欲しいぐらいだな』
  そう思ったが、取りあえずは弟子の相手をするのが彼の優先事項だった。
  「それと、神は願い事などしないはずだ。精神なんて揺らぎを持つ輩(やから)だけが、願う。
 所詮は人の業(わざ)に過ぎん」
  その答えに、初めてマヤの頭が動いて彼の方を向いた。少女は師の顔をまじまじと見上げた。
  「ゼネスは、むかしむかしに願ったの?覇者の試し人になることを」
  一瞬、マヤの眼が光ったように見えた。
  しかしゼネスは、それは彼女の好奇心のゆえだと思った。
  「願った…のかもしれない。
  俺は、最初の世界である"リュエード"の生まれだ。かつての反逆神バルテアスが復活を試みた
 事件で、俺は最初のカードの覇者と共にヤツを葬り去った。
  まあ、実際には俺自身が覇者になるつもりだったのが、いろいろな手違いで二番手に止まって
 しまったんだがな。
  それでリュエードは平和になったが、俺は覇者になり損ねた上に生きがいの戦いまでお終いに
 なってクサッてた。そこへ、カルドラ神の使いがやってきたんだ。
  『覇者が神となって創る世界を渡り歩いて、覇者を目指すセプターを試す役目につかないか』
 とな。これはうまい話だと飛びついたわけさ」
  「神様のお使いって、どんな人なの」
  ゼネスは思わず吹き出した。
  「人なんてものじゃない、これが"杖"なんだ、間抜けたジジイの顔が持ち手についた。
  "ゴリガン"という名前でな、本人はカルドラ神の使いだと威張っちゃいるが、やってることは
 使いっ走りだ。滑稽なヤツさ」
  彼はそのまま思い出し笑いをしていたが、マヤの視線は虚空にあった。
  「神様のお使いがいて、ゼネスもここにいる―それならカルドラ様って本当にいらっしゃる
 神様なんだ…。
  でも…、私の知ってるお話とはだいぶ違うみたいだけど…」
  「お前の知ってる話だと?宇宙の創世神話はどの世界でも同じじゃないのか?」
  驚いて、今度はゼネスが問う側になった。
  「この宇宙をお創りになったのは確かにカルドラ様だけど、今は別の神様に追われて地の底
 においでなんだって」
    「何だ、それは?別の神って誰のことだ?」
  そんな神話は、もちろん初耳だ。彼にはわけがわからない。
  「人を救ってくださる神様。カルドラ様は人をお救いくださらないから、人を救おうという
 神様が顕(あら)われて、地の底に追い払ったとか閉じ込めたとか。
  今は世界中にいろんな神様がいることになってて、それぞれ信じてる人がたくさんついてて、
 そういう新しい神様のお話は、大体がそんな始まりなんです。
  ―で、自分達の信じてる神様こそが人を救ってくださるんだって、みんなそれぞれ思ってる」
  「まったく、世も末とはこのことだな」
  ゼネスは舌打ちする気にもなれなかった。
  まさかに、人の考えがそこまで変わってしまっていようとは。
  もし他の世界にもこのような変化が及んでいるのだとしたら、カードに願いや理想を託そうと
 いう者が居なくなるのも当然と言えるだろう。カルドラ神への信仰こそが、カードに願いを掛ける
 人の思いを支えていたのだから。
  何とうかつであったことか―と、彼は苦い気分を噛み締めた。
  「カルドラ様のことを神様だと信じてる人は、もうほとんどいないんです。それなのに、カード
 だけが今も使われ続けてる。
  それにカードも、今はただの道具です。"神になれる"って言い伝えは残ってるけど、それ
 ほどの力のある道具だって証拠みたいにしか思われてないんだから。
  でも、それでも私はやっぱり知りたい。私達がカードを使うのが、本当はどういうことなのかを。
 ただ一人だけが願いをかなえられる、それだけじゃないはずだって信じたいし。
  私にはすごい力があるってゼネスは喜んでくれたけど、自分が一番知りたいことは、力だけ
 じゃわからない。
  だって、知りたいことが全部わかるようになる呪文なんて、無いんでしょ。
  捜さなくちゃいけないんだ、自分で」
  つぶやくように言う少女の顔を、ゼネスはただ黙して見つめた。
  彼は今、少しきまりが悪かった。

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